私の母は、2008年に潰瘍性大腸炎で2度入院しました。79歳でした。この病気は、自己免疫疾患で治ることはなく、今も投薬治療はしています。この時以降現在まで、入院に至るほどの症状は再発していません。

活動的で外出が多かった母は、入院によって人との接触が減ったせいか、退院後の日常生活で徐々に物忘れの症状がでてきました。電子レンジ、掃除機など電化製品の使い方がわからない、鍋を火にかけっぱなしにして焦がしてしまうなどです。実家には父母が二人で暮らしており、私は近くに住んでおりましたので、私が仕事帰りや休みの日にはほとんど毎日様子を見に行っていました。総合病院の物忘れ外来での診断はMRIでもCTでも脳の萎縮は確認できないため、アルツハイマー型認知症ではないとのことでした。年齢的なものということで、特に処方もありませんでした。

ですが、その後も物忘れが進み、いつも家で探し物をしている状態になったため、潰瘍性大腸炎でのかかりつけの医師に相談した結果、アリセプト(アルツハイマー型認知症やレビー小体型認知症の症状を抑制する薬)を服用することになりました。眠前にレンドルミン(睡眠薬)半錠も服用していました。

その翌年、私の息子が重病になり、環境が一変しました。私が息子につきっきりになり、両親を看ることができないため、私の家から歩いて3分のところに両親は引っ越すことになりました。更に私の弟が遠方から転勤希望を出して両親と同居してくれることになりました。

母は、深刻な状態の孫のことが気がかりで精神状態が不安定になり、認知症が進みました。はじめの1年くらいは何とか私の家まで(同じマンションのとなりの棟)来れていたのが、徐々に部屋がどこかわからなくなり、別の階やお宅に行くようになりました。母は一人で買い物にも出かけていましたが、おつりをもらい忘れたり、薬局がどこかわからなくて、近くのお店に聞いたりしていたようです。

自宅では感情の起伏が激しくなってきました。母の「物忘れ」に対する父や弟の叱責が原因と思われます。

そのときは、アリセプトに加えて抑肝散(イライラや不眠に効果のある漢方薬)を1日1回服用していました。

迷子になることも何回かあり、GPS機能のついた見守り携帯を持たせたり、認知症ネットワークに登録したりもしました。

母を探し回ったことも何度かあります。母は私の電話番号だけは覚えていて、ある時などは、タクシーの運転手さんが電話してくれて戻ってきたこともありました。

私たちは外出をとめることはせず、なるべく見守ることにしていました。

しかし、父が亡くなり、その翌年に孫が亡くなると喪失感からか、母の認知症は進むばかりでした。薬については、潰瘍性大腸炎の薬との兼ね合いがあるため、増やせずにいました。母は、デイサービスでも帰宅願望が激しく、私の家に早めに連れて帰ってもらうようなこともしょっちゅうありました。

ケアマネを代えて、デイサービスもお泊りできる小規模なところに変わりました。そこでの母は、野菜を育てたり、ご飯やおやつ作りを手伝ったりと、活き活きとして過ごしていました。母と職員さんとの間にしっかりと信頼関係ができていたようです。これまでと違い、途中で帰ってくることはなく、週に1回~2回のお泊りもできていました。

問題は、自宅に帰ってきてからで、夜寝ないで押し入れをガサゴソしている母に、母と同居する弟は困っていました。

そこで、認知症専門医のいる病院を紹介してもらい、受診。アルツハイマー型ではないとのことで、引き続きアリセプトと抑肝散が処方されました。眠剤は本人がふらつくと話したため、飲んでいませんでした。母の普段の状態はというと、デイサービスから私の家に帰ってきて晩御飯を食べるのですが、夕方は不穏状態になることが多かったです。「帰る。」と言って、バッグを持ってでかけようとします。そんなときは、私が一緒に外に行き、少し散歩をして帰ってきたら落ち着きます。不穏のときは、ゆっくりと話をして手を握ったり、背中をさすったりすると落ち着きます。そのときは、昔のことを回想するようなお話をします。落ち着いたところで、晩御飯を食べて弟と自宅へ戻るのですが、そのあとが大変らしいのです。

「女の子がいっぱいきて、うるさい。」や、「知らん人が財布を持って行った」等、幻視がでてきており、弟は対応に限界を感じていました。

そこで、ケアマネにも相談し、近隣の施設での入所を決めました。

何件も見学をしましたが、気になっていたのは、帰宅願望がある利用者さんに薬の調整をするのかどうかでした。結局、それを強要はしないところを選びました。

現在、施設入所して2年近くたちます。1年ほどしたころ、母の幻視が激しくなりました。「白い帽子被った人が100人くらいこっちに来る。」「火事よ!大火事!」と施設のドアをたたいていたそうです。私の家に外泊したときは、カーテンが動くのを見て「洪水や!水がここまでくる。」と不穏状態でしたが、私が一緒の布団で寝て手をつないでいると落ち着きました。

そのころ病院は、それまでかかっていた認知症専門医のいる大きな精神科病院から紹介された心療内科の医院に変わっていました。施設に入っても、病院は変えずに通院していました。

幻視症状から、典型的なレビー小体型認知症と診断され、薬がかわりました。施設で夜も眠れていないので、眠剤もでました。

現在の処方です。これ以外に、潰瘍性大腸炎の薬も併用しています。

ツムラ抑肝散エキス2.5g   朝・昼・晩

ドネペジル塩酸塩OD錠10mg 朝1錠

メマリーOD錠20mg     夕1錠

ロゼレム錠8mg        眠前1錠

アリセプトは変わりませんが大幅に薬は増えました。

まだ、時々帰宅願望はでますし、他の利用者さんとのトラブルも絶えないそうですが、介助なしに歩けるし、ご飯もおやつもよく食べてくれます。

認知症の初期のころは、自分の中で葛藤が続き、かわいそうなくらい悩んでいました。進行が進んだ今の方が毎日幸せそうに見えます。

孫や私たち子供の名前を忘れてしまっていますが、会うたびに「よくきたね。」と、微笑んでいます。

いろんなものが見えて、不安なときはあるみたいですが、一時期にくらべたら落ち着きました。薬の服用が効いているのかもしれません。

家族が来たら、必ずボディタッチします。手をつなぎ、背中をさすると嬉しそうに笑います。何度も同じことを繰り返し話しますが、お話は上手です。足が浮腫んでいますが、歩くのは大好きです。外出もできます。認知症は進みましたが、以前より幸せそうに見えます。そして、まわりを幸せにしてくれる存在です。